トゲアリ物語(3)

年代的に次に登録されている論文は、郡場央基(こおりば おうき)氏の『トゲアリの寄生生活』(1963年9月30日)である。この論文は、1961年の9月23日に京都市内の相国寺でトゲアリの女王アリを採集し、この女王アリを、クロオオアリを寄主にして、一時的社会寄生をさせる話である。

採集の翌日から、クロオオアリの働きアリのみと一緒にして観察を始める。29日になって「雌(トゲアリの女王アリ/筆者註)は職アリの頸部に咬みついて体を丸め、職アリを抱えこむようにしながら前肢を動かして下になっている職アリの体をこすり、それから自分の体を前肢でこするという行動をくり返し行なった」とある。この期間の途中で、トゲアリの女王アリに咬みついていたクロオオアリを巣から取り出している。更に詳しく記述が続くが、翌年1962年の6月4日になって初めての産卵があり、その年中に羽化したトゲアリの働きアリは9匹であったと記されている。この論文は、全体を通してとても参考になる優れた叙述である。

ただ1点残念に思うのは、女王アリがいるクロオオアリの巣に、トゲアリの女王アリを入れたのではないので、クロオオアリの女王アリとはどうなるのかが、明らかにならなかった点である。

その後、郡場央基氏は、1966年12月15日に『野外でのトゲアリとクロオオアリの混合巣』というとても短い文章を寄せている。これは、1965年5月27日に京都市内の吉田山で巣を見つけ、多数のトゲアリと共に1匹の大型のクロオオアリの働きアリを採集し、6月7日にそのクロオオアリが死ぬまでの報告である。この中で、郡場央基氏は、このクロオオアリが「争うことなく生活し、トゲアリと全く同一群の個体として扱われていることが判明した」と書いている。また、「このような大型職アリは、数年間の寿命を保ち得るものである。只一匹ではあったけれども、トゲアリの群があまり大きくないものであったことを併せ考えてみて、一時寄生を受けた最後の生き残りと推測し得るものと思われる」と結んでいる。

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