トゲアリ物語(最終回)

それから1週間が経った。トゲアリは、ムネアカオオアリの働きアリから攻撃を受けることがなくなっていた。このままだと、一つの巣にトゲアリとムネアカオオアリの両女王アリが併存して、両方ともに家族が増えていき、混在して同居し続けるのではないか。そんなことも思ってみた。

そんな10月16日の昼過ぎのことだ。餌の入れ替えをするためにトゲアリのいる餌器のモートフィーダーの蓋を開けた。ところが、それが引き金になって、トゲアリがホースの中へと入っていったのだ。もしも、人工巣インテリアリの中に入っていったら、そこでムネアカオオアリの女王アリと出会って再び激しい戦いが始まるかも知れない。予期していなかったことで、私は慌ててしまった。

こうなる前に、トゲアリをムネアカオオアリの女王アリと分けて飼うかどうかをはっきりさせておくべきだったのだ。ムネアカオオアリの女王アリは、インテリアリからホースへは出られないように、径の小さなワッシャーをホースに組み込んでいる。しかしながら、トゲアリはこのワッシャーをくぐり抜けることができるのだ。この状態は、自然界に置きかえれば、トゲアリが、ムネアカオオアリの巣の中の女王アリとは別の部屋に居候していることになる。そんなことは、実際に起こりうると考えられなくもない。してみると、今回は完全に分けて飼う方が不自然なのだ。自然界でも、トゲアリの女王アリが、ムネアカオオアリの女王アリと一戦を交えた後、不利とみて一度退散しはするが、ムネアカオオアリの巣に留まり、何らかのきっかけで再び両者が出会い戦いになる、そんなシナリオがあっても良いのだ。それに、そもそも後戻りができない真剣勝負を既に始めていたのだ。

すぐに記録ができるようにカメラの用意を始めた。トゲアリは、しばらくはホースの中を行きつ戻りつしていたが、12時36分50秒についにインテリアリの中に入っていった。この時のトゲアリの様子から、ムネアカオオアリの女王アリを探しての行動ではないと感じた。以前は本当にまっしぐらにインテリアリの中に入っていき、すばやくムネアカオオアリの女王アリを見つけてかかっていったが、今回はその勢いは明らかになかった。しかしながら、ムネアカオオアリの女王アリとまたしても出会う必然にあったのだ。

再び戦いが始まった

目の前にムネアカオオアリの女王アリがいた。トゲアリは襲いかかろうとはしない。なんだか挨拶さえ交わしたいように見える。だが、ムネアカオオアリの女王アリは、この侵入者に容赦はしなかった。トゲアリの左側のまだ傷を負っていなかった側の触角の触角柄節にかぶりついた。そのまましばらくの間放さない。トゲアリには為す術がないようだ。

本当にトゲアリはどうしたのだろう。以前は果敢にムネアカオオアリの女王アリに飛びかかっていったが、今回は全く別人のようだ。ひょっとするとトゲアリの中の本能というゼンマイは、一度使って緩んでしまうともう一度巻き戻すことができないのか。そんなふうにさえ思えた。

その直後から20分間の様子を8分間に編集している

この時、トゲアリは左側の触角柄節を途中から失っている。トゲアリの方が断然不利な状況だが、しかも逃げ切る合間があるようなのだが、逃げる気配がない。周りの働きアリはというと、トゲアリを侵入者として執拗に攻撃してくる。一度、トゲアリがムネアカオオアリの女王アリの大腮に咬みつくが、それ以外はムネアカオオアリの女王アリの方が戦いを仕掛けている。途中からムネアカオオアリの女王アリは立ち去るが、勿論敗北してというわけではなく、余裕を持ってのことだ。後は、働きアリにお任せといったところだろうか。

動画の最後で、一匹の働きアリがトゲアリをムネアカオオアリの女王アリがいる部屋へと引きずり込むが、この後、トゲアリはムネアカオオアリの女王アリから攻撃を受ける。私が観察した限りでは、更にもう一度両者が出会い、やはりムネアカオオアリの方が攻撃をした。いずれも、トゲアリは逃げようともせず、攻撃されっぱなしであった。

働きアリによるトゲアリへの攻撃はやまない。トゲアリは、以前左側の前脚の主要な部位を失っていたが、このことはやはり決定的なことであったのだろう。相手の分泌物を自分の体に擦り付けることができないので、ムネアカオオアリの家族の一員へと偽装できないのだ。だから、いつまでたっても働きアリは攻撃してくる。

午後2時39分に見た時には、更に右側の前脚の腿節の付け根辺りから前脚を失っていた。触角、そして前脚、昆虫にとって、またトゲアリにとって、とても大切な部位をやられてしまったのだ。それは、偶然その部位だったのか、それとも、そここそが最も狙われるところなのかは分からないが、もうなんともしようがないほどの痛手だ。

午後11時を回った頃に様子を見てみると、通常ごみ溜めになっている部屋にいて、まだ攻撃されていた。よく見ると左側の中脚も腿節から失っていた。もう、再起は不可能に思えた。

深手を負ってごみ溜めの部屋にいた

翌10月17日、事態はなんら好転していなかった。いや悪くなるに決まっていた。朝の8時過ぎに見た時には、右側の中脚も腿節から失っていた。これで残っている肢は後脚だけだが、その後脚も左側は動かなかった。だから、唯一正常なのは右の後脚だけとなっていた。しかし、これでは仰向けから起き上がることすらできない。

だが、まだ時折、働きアリに囲まれながらも、激しく体を動かすことがあった。見かけ以上に元気があるのだろうか。

けれども、この戦いに結論を出す時期は、もうとっくに来ていたのだ。やがて、そのことを見せつけるかのように、午後7時9分、気付いた時にはトゲアリはひとりごみ溜めに置きっぱなしになっていた。

ひとりごみ溜めにいた まわりにはもう働きアリもいなかった

私は何ということをしてしまったのだろうか。あれほど稀な出会いであったトゲアリの女王アリを結局は死なせてしまったのだ。この女王アリから、その家族を見ることなく終わってしまったのだ。

けれども、視点を自然界において考えてみよう。ムネアカオオアリは、大きな巣になると毎年女王アリを産出し、種の存続を図る。数年間にわたって、ひとつの巣から数百匹の女王アリを巣立ちさせるのであろうが、結局のところ、その巣が絶えるまでに、たった一匹の運の良い女王アリだけが巣を繁栄させれば良いのだ。実際そうでなければ、そこら中、ムネアカオオアリだらけになって、食物連鎖のバランスを崩してしまう。

これと同じことは、トゲアリについても言えることだ。やはり数年間にわたって、数百匹の女王アリを巣立ちさせるのであろうが、ことごとくその女王アリが、ムネアカオオアリやクロオオアリの巣にうまく侵入できたとしたら、ムネアカオオアリもクロオオアリも絶滅するであろうし、そうなれば、次の世代のトゲアリの寄主がなくなってしまう。その際は、また別の進化を必要とするが、現時点のトゲアリの進化の到達点は、ムネアカオオアリやクロオオアリの巣に一時的社会寄生をすることなのだ。

私が見た今回のトゲアリのチャレンジとその失敗は、自然界ではとても普遍的な事態なのだろう。おそらく、多くのトゲアリの女王アリは、今回私が見たのとよく似た経過をたどって、社会寄生に失敗していて、多くはムネアカオオアリの勝利に終わっているのだろう。

今回の結末は、トゲアリの視点から見れば、寄生に失敗して残念ではあるのだが、ムネアカオオアリの視点から見れば、侵略者を打ち破った輝かしい勝利だったと言えるのである。

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